ところで「大井川源流」と言えばどっかの県知事がリニアを妨害してますな。
まあそんなことはどうでもエエことですが、1985年に畑薙ダムにあるゲートをマイカーでくぐり抜けて?赤石沢を遡行した、ことが懐かしく思い出されます。
その後、2002年に大井川東俣~白峰南嶺と周回登山したときには、畑薙ダム以奥、二軒小屋までは南アルプス南部の山小屋に宿泊することを条件に、東海フォレストhttps://www.t-forest.com/のマイクロバスに乗車すれば通行することを許されるようになっていました。
大井川東俣は、崩壊気味の林道も広河原以奥は途絶えて純然たる沢歩きになるのですが、大滝も越えて順調に歩を進め、熊ノ平小屋に通じる乗越沢の出合いまでやってきました。
ところがそこに4名の釣屋が陣取っていて「(源流たる)農鳥沢には入るな!」と凄むので、一旦は仕方なく乗越沢に入ったもののまもなく気が変わり、斜面を藪こぎして農鳥沢に入ることに成功しました。これで連中を出し抜いたものの、いつ追いつかれるかと思うと気が気でなく、歩を急ぎ、とある淵で、もう大丈夫かも、と竿を出そうとしたところ、妙な物がプカプカ浮かんでいるのに気がつきました。それは登山用の寝袋でした。”怖くて”中を改める勇気もなく、そこをスルーしました。やがて、農鳥小屋と熊ノ平小屋を結ぶ登山道が中程で横切る三国沢が左側から合流しました。
ツェルトを張り、大滝の下流で釣れたイワナ(大滝の上流、特に農鳥沢には魚影はありませんでした!)を焚き火で焼いているとくだんの4名の釣屋が登ってきました。こちらは煙も出している手前、隠れるワケにもいかず、ビクビクしていると、「いかいの釣れたか?」と来ました。「いかい」とは遠州(静岡)地方の方言で「でかい(大きい)」という意味だそうです。また「さっきのひとか?」とも聞かれ「いいえ」としらばっくれていると「ゆうべはどこで泊まった?」と訊かれたので「(実際に泊まった広河原より上流の)大滝のあたり」と答えるなど、事なきを得ました。多勢に無勢、こんな山奥に埋められたらたまりませんからねえ笑。
彼らは、三国沢を登り登山道に出合い熊ノ平小屋に戻るのでしょう。以前の情報では、このあたりは”イワナ入れ食い”とあったので釣屋が大挙した結果イワナが居なくなったのでしょう。4名はアテが外れたのでアタマに血がのぼってたのでしょう。
その後、農鳥沢から農鳥小屋を経て、白峰南嶺(農鳥~広河内~黒河内~伝付峠)を南下したワケです。最後に泊まった二軒小屋ロッジが予想外に綺麗なうえ従業員には若い娘が居て驚きました。なんでも静岡県や市に来た”偉いさん”の接待にも使われるそうです。今や周辺も様変わりしてリニアの土捨て場が出来ているそうです。マイクロバスしか走れないはずの畑薙ダム以奥の林道に釣屋らしきマイカーが散見されましたが、どうやら県や市に特別なコネをお持ちのようです。県や市もエエ加減ですな笑。
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