2026年3月30日月曜日

私の若い頃


私は阪大通信工学科修士課程卒だ。電気課程3学科(他に電気、電子)の就職は、松下以外は担当教授の推薦で決まりだった。1学科につき、学卒6名、修士卒3名が推薦枠なのだが、松下はさらに試験で2名を落とす、ので不評だった。

私は成績が極めて宜しくなかったのだが、熊谷教授(後に学長になり府知事候補にもなった)への父の口添えが効いたのか、松下を受け、合格してしまった。面接には幸之助の片腕の安川副社長が居た。なんと、落ちた学卒1名は公務員試験に合格して霞が関の警察庁に行った。

最初に配属になったのは音響研究所、ある時、上司の課長に怒られた、土日に何を考えとんのや!山のことを、とは言えなかった。

大きな会社の利点だが、さまざまな部署を、点〃とし、幾度かのリストラをくぐり抜け、なんとか定年退職した。振り返れば、松下神輿を担いだ、というより、ぶら下がってたのだった。最後が難病、とはなんともしまらない。