色づき始めてきた木の葉と早朝の冷え込みに、秋が深まりつつあるのを実感する日々である。と同時に我が人生の秋も否応なく深まりつつある。
以前、朝日新聞に、作家の五木寛之氏の「みみずくの夜メール」というエッセーが連載されていたことがあった。ある日の内容におおいに共鳴するところがあった。
昭和初期に、呼吸法を中心とした岡田式健康法なるものがはやっており、かなりの支持者がいた。ところが、当の指導者の岡田氏が50歳頃で亡くなってしまい、支持者たちはおおいに動揺したとのことである。
これに関して、五木氏は次のような意味のことを述べておられた。
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彼の健康法を、彼自身の単なる生存年数で評価するのはあまりに皮相的な見方である。「与えられた天寿をいかに全うしたか」で評価すべきであろう。「天寿を全うした」時、たとえそれが40歳であっても、真の「長寿」と言えるのだ。逆に、80歳まで「長生き」したとしても、認知症や寝たきりであったりしては、とても「天寿を全うした」とは言えず、従って「長寿」とは言えないのだ。
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「天寿を全うする」とは「老後のQOL(Quality Of Life)」と言い換えるとわかりやすいと思う。若いうちは、身体に優しくない行動や食事をするなどしても、目に見える物質的な肉体に物を言わせて、無理も効く。しかし、日々肉体が衰えてゆく老後においては、「背後で人間を生かしているもの」がものを言ってくるのではないだろうか。それを適切にケアし、鍛えているかどうかでQOLに大きな差がつくと思うのである。
1 件のコメント:
やっとG・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読み終えました。百年前に書かれた予言書が百年後に解読されたとき、
すべての崩壊が始まる。これこそ「背後で人間を生かしているもの」に他ならない。
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