2009年2月21日土曜日

スキー技術検定会(バッジテスト)の思い出

先日、オールマウンテンクラブのスキー技術検定会に参加してきました。私は、「1級強化班」に入れてもらって、「強化」ならぬ「矯正」に精を出しました。そして、「1級受験班」「2級受験班」の中高年スキーヤーズの奮闘振りを拝見しながら、自身の昔を思い出していました。

 18年前、栃木県に転勤して3年目に、地元山岳会のスーパー山スキーヤーIさんに刺激され、滑走日数15日(山スキー除く)、翌シーズンは、28日を達成しました。

 けれども、次のシーズンは、後ろ髪を引かれるように転勤帰阪。スキー場が遠くなりましたが、めげずにダイナランドスキー場のシーズン券を購入して、まず、2級へのチャレンジが始まりました。当時は、バッジテストも盛況で、2級だけでも20人近くの参加者がおり、へこたれず何度もトライする常連も数人いて顔なじみになりました。しかし、毎週のようにダイナランド通い、高速代・ガソリン代だけでも馬鹿になりません。そこで、ホテル・タウンエース泊としました。また、帰路は長良川沿いの大渋滞回避のため福井回りにするなど苦労もありました。その甲斐あってか、まず、家内がシーズン半ばで合格、一方、私は、約30日の滑走練習の後、いよいよシーズン最終検定日、調子がいまひとつで、これで駄目なら諦めようかと思い詰めるほどでしたが、運よく、合格。さあ、来シーズンは1級だ!と俄然、弾みがつきましたが、現実はそう甘くはありませんでした。

 次のシーズンも約30日滑走、その次のシーズンは、約30日滑走の後、3月に受験しましたが、69点と70点の間の壁の厚さを思い知る結果となりました。振返ってみれば、指導者のもとでの練習日数が不足していました。そんな折、家内がたまたま立ち寄った京橋の山道具店・青穂山荘でオールマウンテンスキークラブとの縁ができました。

 次のシーズン、まず、正月、野沢スキー場でチャレンジ、検定バーンはネットで一般スキーヤー立入禁止、気分は技術選、でしたが、二人ともあえなく撃沈。成人の日連休はクラブ仲間と大阪府スキー連盟講習会(菅平)で、2月はダイナランドで、チャレンジしましたが、雪辱はなりませんでした。このシーズンは滑走日数こそ20日を下回りましたが、クラブ代表のO指導員の熱血指導のおかげさまで、中身の濃い練習ができました。

 次のシーズン、西神戸・須磨へ転宅転勤となりました。更にスキー場が遠くなりましたが、正月の大阪府スキー連盟講習会(戸隠)で家内が見事、1級合格を果たしました。しかし、私は、次のシーズン、2月の大阪府スキー連盟講習会(奥神鍋)でも不合格。けれども、正直、あせりを感じつつも、クラブでの練習に励みました。

 そして次のシーズン、年末に初めてカービング板を購入し、正月の大阪府スキー連盟講習会(志賀高原)に臨みました。大回り種目はカービング板のおかげで感触は上々でしたが、小回り種目のスピードコントロールに不安を残していました。昼食後、検定直前に、検定バーンを登るリフトに揺られながら、今回駄目なら諦めようかと心中は悶々としていました。そして、いよいよ検定本番、大回り、中回り、は無難にこなせました。そして、いよいよ問題の小回り、何度かスキー板が先走りかけましたが、何とかまとめました。次の、ステップターン、総合滑降は、思い切り気持ち良く滑りきることができました。そして、合格発表、自分の名前が読みあげられた時には、目頭が少し熱くなりました。振返れば、栃木にてスキー技術向上心に火がついてから、2級合格までに3年、さらに、1級合格までに5年が経ち、45歳になっていました。

 合格発表時に主任講師が言われました、「1級はゴールではなく、上級スキーヤーの出発点です。」、この言葉を忘れずに、若者のような鋭い滑りは無理にしても、雪質を選ばないオールラウンドかつ省エネのスキーをイメージして、向上心を持ち続けたいと思っています。

0 件のコメント: