<五代友厚役のディーン・フジオカさん>
「あさが来た」に関係して、新聞に「五代友厚」のことが紹介されていました。大阪の発展に多大な貢献をした人物でした。私、この人の名前をひょんなことで知っておりました。
<五代友厚>
鈴鹿山脈奥地に江戸時代に隆盛を誇った伊勢治田銀銅山がありました。以前、この鉱山を探索しようとして、「伊勢治田銀銅山の今昔」という書物を読みました。明治時代になって、自らモンペを履いて山に入り、この鉱山の再開発に尽力したのが、五代友厚の次女・五代アイだったのです。五代友厚は数多くの鉱山経営も手がけて鉱山王とも呼ばれ、当時、伊勢治田銀銅山の権利も持っていたそうです。
<五代アイ(右)>
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3 件のコメント:
またまた、古いブログにコメントですみません。本を読みに四日市図書館まで行きました。かなり詳しく書かれていますね~。アイが整備した坑口やトロッコなどは、土石流などで消滅・トンネルは埋没らしいです。それにしても、八番鋪を滋賀県側からいくなんて、神業です。政所あたりには釣りで数回いったが、今はどうなんだろう。早くいかないと、坑口や水銀(炉に少し残っている)はどは、消滅してしまいそう。早く足を鍛えなおさなくては~
昔の記事にコメントありがとうございます。
実は、最近のLimeさんの記事を読んで、鈴鹿を久しく忘れていたことに気がついたところでした。治田鉱山上部は、茨川林道を走り、廃村茨川から入山する方が早いかと思います。とにかく鈴鹿山脈はかなり興味深いエリアであることは間違いないと思います。特に、水晶は至る所で産出するようです。ただし、ザレ場が多く、滑落注意です。そうだ、正月休みは、チビリチビリやりながら、鈴鹿の妄想に耽ろう!!
本の地図やほかの人の記録を自分の地図に書き込んでいます。添水銀山は、八番鋪のある谷下流一体のようです。青川からの探索記録GPS見ましたが、もう少し西のようです。七曲から高コバを左に入っていくと銀山のある谷に到達するようです・・・さて現地確認はどうするか・・・酒飲んで妄想に同行させてください。
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