2009年5月29日金曜日

「ジャイナ教」と「即身仏」と「楢山節考」と「老死」と

このGWの東北スキーツアーの道中、山形県鶴岡の南岳寺にて、いわゆる「即身仏」を拝観する機会があった。真言密教の修行僧・鉄竜海上人が、地中の庵に座して千日間にわたり徐々に食物を減らし、そのまま眠るように入定されたものである。上人が座しておられる堂内は、冷んやりとして、あたかも霊気がただよっているかのようであった。そのご心境はいかばかりであったろうか。我々俗人には、ただただ想像を絶するばかりである。

ここで、これとよく似た修行を行うある宗教のことが思い浮かんだ。それは、インドの「ジャイナ教」である。仏教の開祖・釈迦とほぼ同時代のマハーヴィラによって創始されたジャイナ教は、現存する宗教の中で最も原初の仏教に近い純粋な修行生活を送っているといわれている。

ここには「サッレーカナー」と呼ばれる「断食を続行して死にいたる」修行がある。昨年の高野山ヨガ合宿の講師をされた坂本先生が書かれた「ジャイナ教の瞑想法」という本には、既に断食にて痩せ細った老尼僧が、幾度目かのグル(導師)との面接において、親族一同立会い祝福のもと、導師から「サッレーカナー」が許可される厳粛な場面が写真入りで描かれている。

ここでひるがえって現代の老死はどうだろう。まだ自力の有るうちに断食して死を迎えるのは論外としても、自力摂食できなくなってもそこで死を迎えることは許されない。病院に放り込まれ身体中にチューブを取り付けられ強制的に栄養補給され、ただ生物としての屈辱的生存をとことん強いられるのである。

こうしてみると、「即身仏」や「サッレーカナー」が、「楢山節考」の世界の彼方にある理想的な死に方として身近に思えてくるのである。

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