2019年6月4日火曜日

【皇室と日本人のルーツ】「戦後派古代史論」のウソを論破!!

ある日、深田萌絵氏のツィートを眺めていると・・・。


【2019/6/6追記】YouTubeに著者・長浜浩明氏と深田萌絵女史とのミニ対談が・・・。


早速、アマゾンで内容紹介を見てみると・・・。

内容紹介
御代替わり「令和」のいまこそ知りたい日本建国の真実!!
最新科学が明らかにした
「神武東征」はあった!!そして、「日本書紀」には真実が書かれていた!
事実に基づき、科学的・論理的に古代史を捉えることで、戦後流布されてきた頑迷固陋たる古代史論は瓦解し、わが国の正史・日本書紀や古事記が輝きを増し、日本の礎たる皇室と私たち日本人のルーツが明らかになった、そういう時代に至ったのです。

著者は技術者であり、数々の著名な古代史論者の主張を逐一論破されているようです。自分の知っているところでは、司馬遼太郎、井沢元彦もありました。以下、簡単に要点をまとめてみました。



<日本人のルーツ>
・現代日本人は、中国朝鮮モンゴルチベット付近から渡来したのではない(Y染色体解析より)。
・現代日本人の祖先はアフリカから主として北ルート(バイカル湖付近→樺太→北海道)経由で渡来した。
・現代沖縄人のルーツは主として南九州
・現代アイヌ人のルーツは、13世紀ごろにアムール河口・樺太付近から追われ北海道に来て日本人と衝突した北方部族。

BC30000-10000年 旧石器遺跡(日本:一万ケ所以上、朝鮮:約50ケ所)
BC10000-5000 縄文遺跡(日本:非常に多数、朝鮮・沖縄:全く無し)
倭人(縄文人の子孫)が、無住だった朝鮮半島に渡って行く。やがて、北から北方民族が侵入。
BC1000-300 朝鮮南部:倭人、後に百済・新羅に
        朝鮮北部:北方民族・シナ人、後に高句麗に

<古代史、皇室のルーツ>
・多方面から分析
日本の史書:古事記・日本書紀
朝鮮の史書:三国史記
シナの史書:魏志倭人伝
DNA分析・炭素14年代測定・考古学などの科学的手法

古事記・日本書紀について、古代の一時期に採用されていた春秋暦(春と秋に1年進む)を西暦に修正した結果、シナ朝鮮の史書との整合性が取れた古代天皇が長寿にみえたのは春秋歴のためだった。

当時、九州北部を支配していた邪馬台国(倭国)と対立していた九州南部の天孫族の神武天皇は、日向から東征に出発。天孫族は山砂鉄による製鉄技術を既に会得していたことが史書に記されている。
(当時、邪馬台国は、入れ墨をし、シナと交易し、多数の若い男女を献上。はるか後年、キリスト教宣教師が多数の若い日本人男女を西洋に売り飛ばし、秀吉のバテレン追放令を招いた、ことを想起させる。)
 ↓
BC70年ごろ
神武天皇は、河内潟時代(海水が入り込み干満していた)の生駒山麓から上陸を試みるも退けられ、大きく迂回して熊野那智方面から再上陸し、橿原に至り即位。三輪山の山砂鉄による製鉄集団から正妃・媛踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)を迎えた。
 (参考)踏鞴(たたら):ふいご、製鉄用大型送風装置
    五十鈴(いすず):葦の根に出来る鈴石、褐鉄鉱
 ↓
以後、代々の天皇は、逆に西方へ向けて、主として製鉄鍛冶集団と姻戚関係を結ぶことにより、各地豪族を平定してゆく。
 ↓
BC50-AD0年
新羅、百済、高句麗が建国。
 ↓
AD200年代
第11代垂仁天皇時代、大和朝廷は、熊本付近の狗那国(熊襲)の協力を得て、遂に、邪馬台国(倭国)を平定する。やがて、邪馬台国は女系であったこともあり滅ぶ。
結果、AD300年代以降、シナ史書から邪馬台国や人身献上の記述は消える
 ↓
AD500-700年
百済が唐・新羅に滅ぼされる。
もともと倭人が建国した百済に対し、大和朝廷は援軍を送るが、白村江の闘いで破れ、多くの百済人が日本に亡命してきた。

<なぜ、戦後、古代史は歪められまくってきたのか?>
終戦直後、日本を6年間占領したGHQは

歴史を見失った民族は根無し草となって滅んだも同然となる

ことを知っており、洗脳政策WGIP(War Guilt Information Program)に基づく検閲を、一部日本人を手先に用いて秘密裏に行うことにより

日本最古の史書・建国史である記紀(古事記・日本書紀)

を肯定する者を公職・教職から追放し社会的に抹殺した。

そして、GHQ撤収後も闇検閲体制が続き、記紀否定論者ばかりがのさばっている



いかがでしたでしょう?その闇検閲体制こそいわゆる戦後体制(戦後レジウム)と思われます。第一次安倍政権は「戦後レジウム脱却」を公言したために潰されました。そして、下野中に策を練り、命がけで捲土重来を期したのが第二次安倍政権です。

弓月氏ツィートによるまでもなく、その背後にはGHQを主導した米国民主党(ウォール街の代理人)が居るのでしょう。米国民主党の支配は、米国はもちろん全世界に及んでおり、日本・中国・韓国・北朝鮮にも手先となって蠢いている勢力が居ます。それらと命がけで戦っているのがトランプ政権なのです。



最後にアマゾンから目次を転載しておきます。

はじめに

プロローグ——若き日の九州の旅

第一章 日本人のルーツを解き明かす

川喜田二郎・江藤淳先生との出会い
なぜ、韓国語は日本語に似ていないのか
司馬史観の呪縛
ミトコンドリアDNA分析の有効性と限界
Y染色体分析が明かす真実
NHK『サイエンスZERO』と篠田謙一氏のウソ
ウソの“カラクリ"を明かす
Y染色体からの解析を避けたわけ
核DNAのゲノム解析・中韓とは明らかに違う日本人
核DNAのゲノム解析・沖縄のルーツは日本由来
古代史は多方面から検討を加える

第二章 韓国國立中央博物館“古代史年表"の衝撃

旧石器時代、韓半島からヒトは来なかった
岩宿・旧石器遺跡発見が意味するもの
韓半島人は絶滅・五千年間無人地帯だった
韓半島の歴史は縄文時代から始まった
その後、韓半島に北方民族が侵入して来た
シナ史書に見る半島の歴史と日本

第三章 東アジア『正史』の記す日韓の建国史

高句麗と百済は如何にして建国されたか
新羅王族の祖先は日本からやって来た
日本人は如何にして根無し草になりしか
戦前に教えられていた建国史とは
日本書紀の記す神武東征の物語
「古事記」の記す神武東征の物語

第四章 神武東征を裏付けた「大阪平野の発達史」

生國魂神社・神武天皇が祀られたのが始まり
「大阪平野の発達史」の研究目的とは
“炭素14年代"と“較正炭素14年代"の相違について
大阪駅の地下断面が物語るもの
「河内湾Iの時代」(七千~六千年前)
「河内湾IIの時代」(五千~四千年前)
「河内潟の時代」の理解が要となる
「河内湖Iの時代」もはや東征はあり得ない
「河内湖IIの時代」・仁徳天皇の大川開削
そして日本書紀、古事記だけが残った

第五章 神武天皇はいつ即位されたか

崩御年・在位年から分かること
なぜ天皇は斯くも長寿だったか
干支ではない・カギは「裴松之の注」にあり
皇紀を“実年=西暦"に換算する
実年を“百済の年紀"と照合する

第六章 女王国の都・邪馬台国はここにある

魏志倭人伝は史料に値しないか
その時代“倭国"とは今の“日本"にあらず
魏志倭人伝に何が書いてあるのか
素直に読めば邪馬台国はこの辺りになる
邪馬台国“畿内説"の考え方とは
女王国への川旅・旅程はこう読む
狗奴国や倭種の国はどこか
女王の都する邪馬台国はここにある
考古資料が明かす“黥面文身"習俗
日本書紀は入墨をどう捉えたか
畿内説・設楽博己氏の論理破綻

第七章 大和朝廷は如何にして統一されたか

神武天皇・大和侵入の実像とは
なぜ媛踏鞴五十鈴媛を正妃に迎えたか
綏靖天皇(前三二~前一五年)はなぜ姨を妻としたか
安寧天皇(前一四~前一年)が皇室の立場を決定づけた
その後も婚姻を通じて影響力を拡大
第九代・開化天皇(一七八~二〇七年)の御代
崇神天皇の御代(二〇八~二四一年)に起きたこと
垂仁天皇の御代(二四二~二九〇年)邪馬台国のたそがれ
なぜ、邪馬台国と大和朝廷は和解できなかったか
“任那"は御間城天皇の名から命名された
景行天皇の御代(二九一~三二〇年)に起きたこと

第八章 邪馬台国東遷論・邪馬台国畿内説を洗う

古田武彦氏・韓国や日向の意味を理解していたか
相変わらず古地理図が理解出来なかった
無根拠・銅鐸圏のリーダーを殺し尽くした
“黥面文身"を避け続ける理由は何か
古田史観・古代史年表が見当たらない
森浩一氏・「大阪平野の発達史」を理解していたか
森氏も日本書紀を読んでいなかった?
二五〇年代に邪馬台国の台与が東遷した
安本美典氏・古地理図の誤読から生まれた東征年代
井沢元彦氏の不敬、矛盾から変節へ
直木孝次郎氏・なぜ黥面文身を無視するのか
奈良大学よお前もか! 「奈良県人は昔から噓つきだった」

第九章 “著名人"の古代史論を洗う

江上波夫氏・天孫降臨地は北部九州である
話は逆さま“任那は崇神天皇の名から命名"
上田正昭氏・立派なGHQ“教職適格者"だった
大丈夫か・論理的一貫性のない古代史観
学者としての資質に疑念あり
何が目的で古代史本を書いたのか
岡田英弘氏のビックリ古代史観とは
真に有難い私への“批判・ご意見"に応える
〈あんちょこ〉の弊害“天照大神と素戔嗚尊が結婚した"
不敬・皇族はニワトリ、馬、犬と同様な純血種だった
“全て皇族同士の近親婚だった"なる論理破綻
的場光昭氏に考えていただきたいこと
皇族と韓民族王族の婚姻の違いとは
田中英道氏の古代史観とは

終章 なぜ、戦後の古代史論は正気を失ったか

米国の占領方針“歴史を失わせ滅ぼす"
米国指令による“教職追放令"とは
大学に記紀否定論者だけが残った
検閲・教職追放と“闇の検閲官"
戦後古代史論の知的退廃とは
古代史論は見直す時代に来ている


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2 件のコメント:

bandlover さんのコメント...

なかなかいい内容ですね

考古学に科学的アプローチすることは大切ですね

古文書から紐解く明智光秀の講義を聞きましたが、多量の古文書を読み、家系を紐解いた方は元数学者で、すべて古文書の事実であり、いい内容でした

なぜ百済に援軍を送ったのか、背景がよくわかりました
縄文人のルーツも理解できますね

紹介、ありがとうございます

迷山漫幽 さんのコメント...

まいど!

なんとかつたない要約をしてみましたが、ぜひ本書を購入して読んでみて下さい。
縄文人、アイヌ、神武東征、邪馬台国、なんかモヤモヤしていた霧がスッキリ晴れた感じです。
歴史教科書に盛り込むべき内容と思います。

鉱物も、はるか古代から隠れた主役だったんだ、と思いました。

さて遅まきながら梅雨に突入しそうです。
快適な季節は短いですね。