2012年3月16日金曜日

鉱山民俗学

石に興味を持つようになって、関連するジャンルの本にも目を通すようになりました。そのひとつに鉱山民俗学というものがあります。

古今東西、資源というものが世の中を動かす原動力となってきたのは、周知の通りです。鉱物もそのひとつであり、我が国においても、古来、権力者はその探索に血道をあげてきました。

とはいっても、自ら鉱脈探索・山野跋渉の術を知らない権力者の先兵となったのは、山伏と呼ばれる密教修験者、そして山師でありました。彼らが発見し開拓した鉱山の周囲には、採掘規模の増大につれて、鉱山労働者の集落ができてきます。人が多くなるにつれて、争い事も多くなり、人心安定のため必然的に建立されたのが、寺院(神社・仏閣)という支配装置でありました。現在、ある特定の名称の寺院の周囲には、必ずと言っていいほど鉱山跡がある事実がそれを物語っています。

弘法大師・空海様はこうおっしゃったそうです。
もし、高野山が存亡の危機に立ったら、地下を掘れ」と。
金銀が埋蔵されていることが聖地の条件だったことがうかがえますね。

ここで、エピソードを少し。


<鬼退治>
鉱脈探索の隠語として用いられたそうです。親兄弟にも先取りされたくないので、「金銀を探している」なんて口が裂けても言えず、「鬼退治だよ」とごまかしたのでしょう。

なるほど、丹後の大江山も鉱山が多いところですね。

薬物乱用>
密教の修験者は、悟りを得るために、ある種の薬物を服用したようです。その中に鉱石類もあったようです。それが過ぎて身体を壊した修験者もいたとか。

もっとも、親から授かった大切な心身を毀損するなんて、修行の名に値しませんが。

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