2010年1月16日土曜日

阪神大震災の記憶

3連休をダイナランドで滑って深夜帰宅した翌早朝であった。目を覚ますと天井が左右に揺れていた。その振れ幅が1mにも見えたので我が家がひし形になってつぶれるのではないかと思った。揺れが収まった後、耳を澄ませていたが、近所の犬が2~3度吠えたのみで、し~んと静まり返っていたので、ひと寝入りしてしまった。

起きると居間で家内がTVを見ていた。神戸三宮近くの叔母夫婦に電話をかけたがつながらない、とのこと。電車も軒並み停まっているようである。不謹慎ながら、今日は家でゆっくりできるな、と思ったのもつかの間、よりによっていつも乗っている路線のみが動き出したので、出社することにした。しかし、出社できた人も少なかったし、居室のTVニュースに皆、気もそぞろで仕事になっていなかった。

帰宅のバス途上、家内が運転する車とすれちがった。いったいどこへ行くんだろう。深夜になっても戻らないので心配になり、比較的近くに住む叔母に電話すると、叔父の車で神戸の叔母夫婦の方へ向かったとのこと。翌日の夜になってやっと電話があった。行きは倒壊した阪神高速道路のわきを通ったり裏道を迂回したりしたものの比較的順調に進め、神戸の叔母夫婦の安否も確認できたのだが、帰路、東灘あたりで大渋滞となって車が動かない、とのこと。その翌日の夜になってようやく帰宅できたのであった。

やはり、我が家で2~3日静養してもらった方が良かろうと、迎えに行くことにした。六甲南麓一帯は厳重な交通規制が敷かれていたので、大きく北回りしてアプローチすることにした。高槻~亀岡~三田と走って、六甲北麓の有馬温泉付近まで順調に辿り着いた。当初、新開地を回ることにしていたが、だめもとで新神戸トンネルの方向へ車を走らせた。おお、ラッキー、進入可能だ。車が1台も走っていないトンネルをあっという間に神戸三宮に抜け出すことが出来た。

そこには惨状が展開されていた。ガレキが散乱する道を遠慮がちに車を進めると、銭湯には洗面器を抱えた人たちが何十人も並んでいた。1階がペシャンコになったアパートを何軒も見た。叔母夫婦の家は、一見したところ、所々、壁にひびが入っているくらいでたいした損傷ではないようだった。しかし、補修には一旦ほどいて骨組みだけにせねばならず高額の出費になったとのことである。

叔母夫婦から地震発生時の様子を聞くことができた。毎朝、六甲山に早朝登山をするのが日課だった。その日もいつもと同じ時刻に自宅を出た。いつもは懐中電灯で足元を照らすのだが、その日はどういうわけか明るくて、懐中電灯が必要なかった。おかしいね、と話しながら、やがて山道にさしかかったところで、強烈な揺れが襲ってきた。自宅が心配になり戻ると、布団の上に重い仏壇が倒れこんでいた。もし、まだ寝ていたらと思うとぞっとした。

西宮に住んでいた弟は、早朝散歩の途中だった。立っていられずガードレールにしがみついた。武庫川河口の方を見ると上空がパーッと光っていた。

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