私が調べてみました。有名人ならNHKがファミリーヒストリーで調べてくれるでしょうが。
明治以後は戸籍謄本(保管期限あり)、江戸以前は武士は人別帳、平民は宗門改帳で、市役所や京阪奈の国会図書館関西館で調べました。
父や母は痩せてるのに弟はなぜ太いのか、お爺ちゃん(養子)は太ってました。つまり、弟は隔世遺伝と思われます。
お婆ちゃんは親(福井から来たらしい)の墓がどこなのかわからなかったそうです。そこで京都の寺に、自分が入れる墓を買ったようです。
私らには子供がおらず弟夫婦の男の子は約40歳でまだ独身なので、いわゆる「家が絶える」状態です。まあ、天皇家に倣う必要はありませんが。よって、墓じまいし、共同墓に移らねば。
故に我が家には先祖代々の墓がなかったので祖父母が亡くなるまで墓参りの風習がありませんでした。
父が無類の山好きだったので夏の長休みは母や弟と4人で日本アルプス登山でした。世間ではなぜ夏の長休みを「登山休み」ではなく「盆休み」というのか、長い間疑問でした。
母の両親の先祖は比較的ハッキリしてて、津山中心部の寺の本堂脇に立派な墓所があります。碑文によると、赤穂藩の山下某が津山藩にやって来て仕えたようです。しかし、家督をつぐべき養子の男の子が戦死したため、母の父親の代で「家が絶えた」状態になりました。
この地球上の生命(生けとし生きるもの)の寿命は有限で、人間のは100年前後とけっこう長いのでつい永遠だと錯覚しがちです。
また、単独では存在しえず必ず親があります。だから墓参りなどで先祖(無数の親)に思いを馳せるのは自然なことでしょう。家内は遠い鹿児島のそれも離島育ちなので戦前の風習が染みついており、先祖供養(必須ではなく、風習に過ぎないが)については、特に反対する理由もないので、家内に従ってます。